映画『さがす』の核心は「笑い」である。『ジョーカー』への回答である。
遅ればせながら、片山慎三監督の映画『さがす』を観ました。
この映画の核心は「笑い」である。
そして『ジョーカー』への回答でもある。
エロス、暴力、殺戮、溢れ漂う「死」の臭い・・・。
「闇」と「死」が、「これでもか」と溢れかえっている。
安易な「救い」は提示されない。
「意味」も描かれない。
それでも、どこかに「笑い」がある。
「温かいもの」が残る。
『ジョーカー』の「冷たい笑い」を乗り越えたのは、
バットマンではなく、片山慎三監督の「泣き笑い」だった。
そういう映画だと、私は思う。
目の前にいる「その人」を救えるか
「ただ存在する」ことの受容
" 何かを失う時は 何かを得る時だ "
8月6日、今年もその日が来ました。